2012年3月12日月曜日

あの日のこと

2011年3月11日、私はバイトが休みで、ひとりで家にいた。
きゅうに、ゆうらりと大きく揺れたので、眩暈かとおもったら、アパートごと揺れていて、じしんだった。
猫を抱いて、ベランダを開け、揺れがおさまってすぐにテレビをつけると、画面の中で津波がやってきた。大きな波で、車なんか簡単に、大きな船や、建物も、みるみるうちに流されていった。
想像や、知っている範囲を超えすぎて、どんな映像か言葉にもできない。

その日は、千葉に住む姉の、待ちに待った第一子出産予定日だった。
テレビでは、彼女の家のすぐそばの、製油所が爆発したと言っている。
初めに電話をかけたときはつながった。
「机の下にもぐっとる!すごい揺れた、棚の中のもの全部おちた」と言っていた。
ミクシイなんかで、有毒の雨が降るから外へ出るなとか、わけのわからないことが書かれていた。
そのうち電話もつながらなくなって、でもミクシイに書き込みをすれば連絡がとれることがわかった。
電話は、私たちよりも、もっと深刻な状況の人に回線をゆずるべきと思って、かけないようにした。

夜になるとテレビでは街一面の火災の様子が流れた。とっても、ほんとうに起こっていることとは思えない。
姉の夫が友人をバイクで送りにいったまま3時間程も帰ってこないらしい。
私も不安でどきどきした。
夜遅くに、姉の夫が無事帰宅した。

次の日からは、全部がごちゃごちゃになっていた。
名古屋は数日で平静をとりもどした。
でもおかしな混乱は続いて、わけのわからないチェーンメールがまわったりした。


忘れられないのは、震災のすぐあと、
 「なんにもない、かぞくも、めのまえでながされて、」 と、テレビのインタビューで言っていたおじいちゃんのこと。
表情はほとんど無いのに、ものすごく深い悲しみが伝わってきて、
それ以上は震災の報道を見られなくなった。
そして私はいまだに、長くは見られない、震災の時の映像を。
忘れないことも、ちゃんと見ることも、必要だとおもうのに。



震災から一週間後、私の誕生日と同じ日に、姪っ子のはなちゃんが生まれた。
はなちゃんは、待ちわびた希望の光。





きのう、swingで震災チャリティーライブがあって、大好きなミュージシャンも出ていたので一人で聴きに行ってきた。
ステージすぐ脇のカウンターに一人で座って聴いていたら、あの、ニュースのおじいちゃんのことが思い浮かんで、涙が出てきた。
voの赤崎真由美さんがimagineを歌ったところで、すっかり涙は止まらなくなり、ひとりでずっと泣いていた。

ライブが終わった後、夫がお世話になっているベーシストの吉岡直樹さんとお話をした。
私も今度チャリティーライブの企画を控えていることについて、すごく親身に話を聴いて下さって、とてもありがたかった。


聴きに行ってよかった、この日、ここで泣けなかったら、わたしは、どこで泣けばよかったんだろう。
でもそれこそが、「追悼式」というイベントをする理由でもあるらしい。
普段、前に進むために思い出さないようにしていることを、思う存分思い出して、泣いてもいい日。



 

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